ベトナム戦争は私にとっては、テレビの中の世界でした。ジェトロも当時のサイゴンに事務所を持っていたようですが、ベトナム戦争の激化とともに、事務所を閉鎖したそうです。1975年、サイゴンが陥落することでベトナム戦争が終わり、その後は、アメリカが誕生した共産国であるベトナムに対して、経済制裁を行っていたのですが、1992年、ドイモイ(刷新)と呼ばれる、市場開放の動きが見られ、すわ、アメリカが経済制裁を解除するのではと期待されていました。ベトナムは人口も多く、識字率も高く、勤勉で、アメリカの経済制裁さえなければ、もっと発展するのではと、日本企業が一気に注目しはじめていたころでした。そのような時流をとらえ、ジェトロもベトナム戦争後以来初となる、日本産業見本市を開催しようということで、プロジェクトが組まれることとなりました。そうです、我が一般見本市課の出番です。

当時、ベトナムにジェトロの事務所がありませんでしたので、東京にあるベトナム大使館が窓口でした。開催都市はハノイとすることとし、会場を探したのですが、郊外にある展示会場は市場調査の結果、とても老朽していて交通の便も悪く、ジェトロがとまどっていたところ、ベトナム大使館から、ハノイ駅前にある、ベトナム・ソ連友好会館を使ってはという申し出がありました。ソ連の協力により建てられた立派な公会堂があるのですが、肝心の展示会場がありません。ただ、駅前にもかかわらず広大な敷地があり、そこに新たに建設するというのです。

輸送会社、展示会のデザイナーなどの専門家の意見も参考にし、そこでの開催を決定しました。そうこうしているうちに、ジェトロもハノイに事務所を開設することになりました。開催年1994年の前年、1993年の9月だったように思います。初代所長は、Mさんでした。実は、展示会場が出来上がるのか、かなり不安があったのですが、どうもジェトロが展示会場使用料を数回に分けて振り込むと、工事が少しずつ進むという状況がM所長からの報告でわかったのです。これには、課長以下苦笑しましたが。

1年以上の準備を経て、ハノイに降り立ちました。確か当時は香港経由のフライトしかありません。ベトナム航空の機体は真っ白で、何の塗装もされていない小さなジェット機でした。ハノイ空港の中の移動はたしか、払い下げられたのか神戸市バスが走っていました。私は幼少の頃、神戸に住んでいたので、とても懐かしく思い出しました。降りますのボタンが妙に日本的でした。空港からの道は、本当に冒険のような世界でした。ちょっとインドと記憶が重なっているかもしれませんが、最初はできたての高速道路のような道を走りましたが、そのうち、一般道にはいり、自転車と人と牛なんかがライトの先に現れます。市内は、人品服を着た男性と、モンペ?パジャマのような姿の女性。車はまだ珍しく、バイクがちらほら、ほとんどは自転車と歩行者という感じでした。

懐かしく、面白おかしい話はたくさんあるのですが、どこか別の機会にして、今回はこのへんで。