当時のベトナムはまだまだ西側諸国にとっては未開の地でした。その少し前までは、イランで開催されるテヘラン国際見本市、イラクで開催されるバグダット国際見本市。こういった展示会がとても人気でした。中東の雄、両産油国には多くの資本財、消費財が必要でしたし、日本製の工作機械を初め、消費財は良く売れていたようです。しかし、その前の湾岸戦争やイランの反米への先鋭化というか、アメリカを初めとする西側諸国との関係悪化により、日本もイランやイラクとビジネスをするような状況でなくなってきたわけです。

そんな中、ベトナム市場が注目されたわけです。きっかけはベトナムのドイモイ、それに呼応するアメリカの経済制裁解除への動きでした。

日本企業の海外進出ラッシュは、教科書的には1985年のプラザ合意を受けて、大幅な円安のもと、海外に生産を移転させていくという流れですが、一旦ラッシュが起こると、ものすごく集中するというか、我も我もという流れになりやすいという特徴があると思います。

この当時(今1993年とか94年の話をしています)も、ベトナムへのラッシュは確かに起こりました。ジェトロのハノイ事務所は度重なる日本企業の訪問に本当に大忙しだったと思います。

さて、このブログを書いている、私、はまず、未知のベトナムへ降り立ちました。そして、素朴なベトナムの人々やこれから高度成長を控えるベトナムに魅せられます。しかし、まだここで、アメリカに思いは至りません。今、振り返れば、ここまで書いた中にも多く、アメリカという単語が見つかります。プラザ合意の舞台だって、ニューヨークは5番街の有名ホテル「プラザホテル」ですね。セントラルパークとアップルストアに面していますね。そして、私はどっぷりとアジアに魅せられ浸かることになります。