代表・蝉本の日記

その17 日米のE-メール比較

ニューヨーカー達はそぞろ歩きの観光客をすり抜け、本当にテンポ早く、かなりの速さで歩きます。筆者もそのスピードに慣れてしまっているからか、日本からのお客様を案内する時など...

その16 ニューヨークに夏が到来

ニューヨークも、米国の独立記念日(7月4日) を経て、いよいよ夏本番という感じです。マンハッタンは夏休みをニューヨークで過ごす多くの 観光客で賑わい、そして入れ替わりに、...

その15 シカゴ・ホームウェアショー

ホームに特化した巨大展示会 2016年3月5日〜9日の4日間、シカゴのマコーミックプレイス展示会場にて、International Home + Housewares Show 2...

その14 Japan by Design

2009年の話。 当時、日本のデザイン展をパリに引き続き、NYでも行うということで、準備を進めていた。経済産業省の強力なバックアップがあり、大型のイベントとなった。感度の高い、プロ...

その13 アメリカの展示会の特徴

さて、昔話はちょっと小休止して、アメリカの展示会の特徴を述べたい。 アメリカの展示会はある意味ドメスティックである。日本の展示会に似ているかもしれない。これは、欧州の展示会に比べて...

その12 ニューヨークへ

2008年の7月、私はニューヨークに赴任した。ジェトロ・ニューヨークは当時、ロックフェラーの一角のマグロウヒルビルの42階というすごいところにあった。映画「プラダを着た悪魔」の舞台...

その11 アメリカへ

その当時(2007年ごろ)、まだまだ中国市場はフロンティアであった。生産拠点としてみている日本企業、そして市場としての中国を見る企業も増えてきたころである。その10で書いた広州の展...

その10 広州へ

2007年のゴールデンウィーク明けに9月の広州の展示会の準備を本格的に開始してからは、文字どおり不眠不休の体制となった。この間、3度ほど広州に事前準備というか調査に行った。主催者で...

その9 日中首脳会談の結果

中国によく出張していたころ、2007年のゴールデンウィークごろであったか、経済産業省に呼ばれた(あるいは担当官が来られたか。。)。どうも日中首脳会談で、中国側から広州の展示会への協...

その8 中国の勃興

マレーシアにいた90年代後半くらいから、中国が騒がしくなってきた。天安門事件直後、中国への日本企業の投資は激減していたが、徐々に頭角を現していた。マレーシアには98年から2002年...

その7 海外見本市

2002年8月、マレーシア駐在を終えて、日本に帰国した。ジェトロ東京本部、展示事業部、海外見本市課というところだった。今ではなくなってしまったようだが、新卒で配属された、一般見本市...

その6 トラブル相談

1998年-2002年、マレーシアに駐在させていただいた。その間は、進出している日系企業の支援と、政府としての経済・技術協力として、現地の裾野産業育成の支援であった。もちろん、基礎...

その5 東アジアの奇跡とアジア通貨危機

1996年のマレーシアは本当に景気が良かった。たしか98年には、コモンウェルスのスポーツ大会(旧英領だけのオリンピックのようなもの)を控え、新しい空港、KLタワー、ツインタワーを有...

その4 マレーシアへ

ジェトロの人事アンケートには、フランス語研修希望なんてのを出していましたが、ベトナムに2年がかりで3ヶ月くらい出張させてもらい、すっかりベトナム、アジアに魅せられてしまいました。そ...

その3 アジアの夜明け

当時のベトナムはまだまだ西側諸国にとっては未開の地でした。その少し前までは、イランで開催されるテヘラン国際見本市、イラクで開催されるバグダット国際見本市。こういった展示会がとても人...

その2 ベトナム!

ベトナム戦争は私にとっては、テレビの中の世界でした。ジェトロも当時のサイゴンに事務所を持っていたようですが、ベトナム戦争の激化とともに、事務所を閉鎖したそうです。1975年、サイゴ...

その1 はじめに 

フォーカスアメリカコーポレーション代表の蝉本です。なぜ、アメリカか?というタイトルでブログを書こうとしたのですが、そうするには、私のこれまで歩んで来た道を紹介するのが手っ取り早いと...