その7 海外見本市

2002年8月、マレーシア駐在を終えて、日本に帰国した。ジェトロ東京本部、展示事業部、海外見本市課というところだった。今ではなくなってしまったようだが、新卒で配属された、一般見本市課とそのとなりの専門見本市課がくっついた課だ。電話番号もマレーシアに行く前と一緒だった。いわば古巣に戻ってきた…続きを読む →

その6 トラブル相談

1998年-2002年、マレーシアに駐在させていただいた。その間は、進出している日系企業の支援と、政府としての経済・技術協力として、現地の裾野産業育成の支援であった。もちろん、基礎的な業務として、日本企業への情報提供や相談への対応というのがあった。今思い出しても様々な会社が訪れていただいた…続きを読む →

その5 東アジアの奇跡とアジア通貨危機

1996年のマレーシアは本当に景気が良かった。たしか98年には、コモンウェルスのスポーツ大会(旧英領だけのオリンピックのようなもの)を控え、新しい空港、KLタワー、ツインタワーを有するKLCCの大開発、モノレール、高速鉄道、LRT、幹線道路、新しいホテルと本当にどこもかしこも建築ラッシュだ…続きを読む →

その4 マレーシアへ

ジェトロの人事アンケートには、フランス語研修希望なんてのを出していましたが、ベトナムに2年がかりで3ヶ月くらい出張させてもらい、すっかりベトナム、アジアに魅せられてしまいました。そして、くだんの一般見本市課に、Nさんがジャカルタから帰国され、配属されます。Nさんは豪傑な方で、私の尊敬する先…続きを読む →

その3 アジアの夜明け

当時のベトナムはまだまだ西側諸国にとっては未開の地でした。その少し前までは、イランで開催されるテヘラン国際見本市、イラクで開催されるバグダット国際見本市。こういった展示会がとても人気でした。中東の雄、両産油国には多くの資本財、消費財が必要でしたし、日本製の工作機械を初め、消費財は良く売れて…続きを読む →

その2 ベトナム!

ベトナム戦争は私にとっては、テレビの中の世界でした。ジェトロも当時のサイゴンに事務所を持っていたようですが、ベトナム戦争の激化とともに、事務所を閉鎖したそうです。1975年、サイゴンが陥落することでベトナム戦争が終わり、その後は、アメリカが誕生した共産国であるベトナムに対して、経済制裁を行…続きを読む →

その1 はじめに 

フォーカスアメリカコーポレーション代表の蝉本です。なぜ、アメリカか?というタイトルでブログを書こうとしたのですが、そうするには、私のこれまで歩んで来た道を紹介するのが手っ取り早いと気づきました。少し長くなるかもしれませんが、フォカスアメリカコーポレーションを創業するまでを振り返ってみたいと…続きを読む →